母の つぶやきコーナー




きっかけは陽平のはるにれ時代に宿題で書いた作文です
毎年3月、年度末に出していました
気持ちを文字に表して残すことは大切です
母はズボラだから毎日日記なんて書かないけれど
時々気持ちを書いてここに載せます
一年に一度、二年に一度になるかもしれないけれど…





芸術品 2001年3月 直樹11歳 陽平6歳
ボクのニイチャン 2000年3月 直樹10歳 陽平5歳
陽平の耳に関する親バカの自慢話 1999年3月 直樹9歳 陽平4歳
庭仕事と子育て 1998年3月 直樹8歳 陽平3歳




2001年3月 直樹11歳 陽平6歳
芸術品

 犬も歩けば棒にあたる。我が家のめんこい陽平も歩けば世間の風にあたる。
 四年ほど前に陽平はやっと歩き始め、それから陽平はひたすら歩いてきた。驚くほど遠くまで行っておまわりさんのお世話になったり、下手稲通りの分離帯で車を止めて喜んでいたり、いかにもアブナイヤツで周囲の人々もそんな陽平を「まだ小さい子」として好意的に保護してくださった。
 でもこの二年間は何かがこれまでとは違う。道路に平気で飛び出したり鉄砲玉のように一直線に出かけたきり帰ってこれないといったことは少なくなった。母がいないときは近所のおばさんたちにそこそこ挨拶を返しているらしい。一分くらいは「普通の子」に化けることができる。(と母だけは思っている。)
 その反面、別の意味でアブナイヤツになって目が離せなくなった。本当は私は三度のメシより庭仕事が好き。しかし最近の私の庭は、その名を挙げればキリも限りもないほど多数の雑草たちに喰われて日に日に荒れ果ててゆく。
 自作のベランダにたたずんでため息をついているいる間にも、陽平がこっそり自転車に乗って逃亡する音が聞こえてくる。そうしていつもの行進が始まる。
 ピンポンダッシュに畑踏み、犬には砂をかけ、勝手によそのお宅に上がり込んでおやつを食べるわ中から鍵をかけるわ…。自分よりも小さい子を見つけて押し倒す癖もついて近所の躾ママにビンタも張られた。
 つまり最近の陽平は他人の生活にぐっと踏み込むようになったのだ。しかし正しい関わり方がまだできないので行った先々でトラブルが起きる。だから私は三度のメシより好きな庭を捨てた。
 陽平は独自の風変わりな行動を自分で行うだけではない。母にも「やれ」と命令する。他人様のお宅を指さし「いっといで」と言う。そのお宅の方は訝しそうに陽平と私を見る。私はクラクラと目眩を感じながらも
「ちょっと失礼いたします。」と一礼して五歩進み、
「お邪魔いたしました。ありがとうございます。」そう言って踵を返して陽平の元に戻る頃には私の心臓はドキドキだ。
 お店屋さんに買い物に行けば、カウンターに入って店のロゴ入りのセロテープを切りたがる。店員にダメと言われれば母に
「スイマセーン、テープ貼ってくださーい、って言いなさーい!!」と金切り声で母に解決法を依頼する。その店員はやはり訝しそうに陽平を見る。私はズキズキと頭痛を感じながらも
「すみません、テープを貼らせてやっていただけませんか?」一日たかだか5cmほどのセロテープを商品に貼ってもらうのに、ヤレヤレ一苦労だ。こんなことを年中やっている。
 端から見れば何と変わった親子だろう。しかし心の赴くままに生きている陽平は羨ましいほど人間らしく魅力的な生き方をしている。
 陽平のこんな行動に対する周囲の人々の反応も様々だ。何も説明しなくても 「元気なお子さんね。」「子どもだからいろいろとやってみたいのよ。」そう言って笑って許してくださる方も少ないながらいるものだ。でも大抵は
「ボク、だめだよ。」の一言が返ってくる。それでも私が中に入って説明を加えると半数以上の人は
「そうかい…」と穏やかに収めてくださる。
 世の中こんな人々ばかりだったら私も陽平も何と暮らしやすいことだろう。親の死後、陽平がどんな思いで暮らすのだろうかと暗い気持ちで案ずることはない。陽平の背中に自閉症マークをつけておけばそれで良いのだ。きっと生活は苦しいだろうが、精神的な苦しみはずっと軽いはずだ。
 しかし世の中そんなに甘くはない。本当に恐ろしいのはそれ以外の人々、つまり不満があるのに口に出そうとはせず、まるで汚いものでも見るかのようにこっそりと陽平を見つめる人。こういった人々は手に負えない。陽平に病気があることを知った途端に絶縁を申し渡してきたり、陽平のわずかな逸脱に過敏に反応したりする。そういう視線は私と陽平の心に深く冷たく突き刺さる。
 日本は戦争のない平和な国のはずなのに、突然銃弾がめんこい陽平の上に降ってくる。防空壕の中で安全に暮らすこともたまにはちょっぴり考えてみるが、陽平が自分なりに世の中を漕いで渡ろうとしている姿を嬉しく、誇らしく思うところが私の心のどこかに存在しているのだ。
 人の迷惑が怖くて子どもなんか育てられるか。人に迷惑をかけずに育った子なんてロクなもんじゃない。だからきっとこれからも周囲の人々には迷惑をかけながらも陽平の行進は続く。
 深刻そうな顔をして頭を下げながら、その後ろでは
「よしよし、ひるむなよ。」と陽平の頭をナデナデしている。
 陽平と暮らしていると良くも悪くも人の心があれこれ見える。もうたくさんだと思うこともあるが、結構おもしろい。世の中100%の善人はいないし100%の悪人もいない。一人一人がそのどちらも持って生まれてきて、その後の人生によって良い部分が強化されたり悪い部分が目立ってしまったりする。そんなことを肌に感じる機会は人生の中でそう頻繁にあることではない。陽平はその機会を私にどんどん提供してくれる。
 もしも私に文筆の才能があったなら、陽平が垣間見せてくれた人々の人生を想像力豊かに綴った小説をいくつも残すことができるだろう。もしも私に絵筆の才能があったなら、陽平が出会った人々の微妙な表情の綾を深い色で表現するだろう。もしも私に音楽の才能があったなら、陽平と言葉を交わす人々の声の香りを歌うだろう。
 しかし私はどの才能にも恵まれなかった。だから私は陽平そのものを芸術品として育てなければならないのだ。何十年か先に陽平がその人生を終え、
「ああ、僕の人生は美しかった。」そう思えたときに初めて私の芸術品は完成する。そんなときの陽平の表情は光り輝き、最期の一息は天上の音楽のように柔らかく響くはずだ。
 だから陽平、どんどん歩け。


2000年3月 直樹10歳 陽平5歳
ボクのニイチャン

 ぼくはニイチャンが大好きだ。ぼくのニイチャンは大きくてなんでもできる。
「4年生の中では小さい方だよ。前から2番目だもん。」ニイチャンはそう言うけれど、ぼくがニイチャンをぎゅうっと抱きしめると、ぼくの顔はニイチャンの胸の中に埋まって息ができなくなる。
 ニイチャンはファミコンも上手だし、補助なしの自転車にも乗れる。お風呂の中でブクブクもできるし、ぼくの手も洗ってくれる。
 父さんと一緒に本気の将棋もできる。父さんとニイチャンが将棋を始めると二人とも向かい合ってあぐらをかき、頭をくっつけて将棋盤をじーっと睨み下ろしたまま動かなくなる。ときどき父さんが「あっ…」と小さい声を出す。そんなときニイチャンは得意そうに「ふうっ」とため息をついて背を伸ばす。腕なんか組んじゃって男らしい。だからぼくもニイチャンの真似をして
「ショーギやんない?」と叫んで将棋の駒を並べてみるが
「あ〜メチャクチャだ〜」とニイチャンはズッコケる。
 これまたニイチャンの真似をしてタマちゃん(ネコ)のトイレ掃除をしてみるけど、母さんが大騒ぎをする。なんでだヨ。
「ようちゃん、タマのうんちの砂であそんでるだろう。はるにれじゃないんだからね。」ニイチャンは、あははーっと笑う。
 注射をしてもニイチャンは泣かない。母さんの方がよっぽど弱虫だ。「ちょっとまって」とか「痛くするな」とか言って父さんに叱られながら注射されている。でもニイチャンはちがう。
「ようちゃん、ちょっと痛いけどヘッチャラだよ〜。」ニイチャンはそう言ってニッと笑って父さんにチックンしてもらっている。
 ニイチャンは二歳の頃から注射しても泣かないらしい。ぼくはもうすぐ六歳になるけど注射だけは全然ダメだ。手術よりも苦手なんだ。この前入院して手術の前に点滴をチックンするとき、ぼくはうっかり
「手術してから〜っ!!」と叫んでみんなに笑われた。ぼくは当分ニイチャンみたいに笑ってチックンはできそうにない。
 ニイチャンはおくすりをのむのも上手だ。ぼくは粉のおくすりをジュースに溶かして注射器でのむけれど、ニイチャンはそのまま口にガガガーッと入れて牛乳と一緒にゴックンとのんでいる。母さんはニイチャンと同じおくすりをオブラート3枚に分けてのんだりして、ニイチャンに「情けない」と言われちゃったりしている。
 ニイチャンはいろんなことを知っている。ポケモンのことなんかピカイチだ。ポケモンのことなら全部知っている。それから最近「遊戯王」というすごく難しいルールのカードゲームに凝っていて、毎日友だちと対戦している。
 ニイチャンはぼくの病気のことも知っている。この前学校でニイチャンはぼくの病気のことを発表したらしい。
「ようちゃんには(身体障害者)手帳があるからJRと地下鉄がタダだし、青少年科学館にもタダで入れます。ようちゃんと一緒だと母さんも割引が効きます。高速道路の料金も半分だし車も安く買えるし、ショーガイシャが一人いるとけっこうお得です。」そんなニイチャンを母さんは「めんこいめんこい」と言って抱きしめたりチュウしたりする。
 ニイチャンの特技はバイオリン。リュリとかボッケリーニとかむずかしい名前の人が作ったステキな曲を練習している。ニイチャンがバイオリンを習い始めた頃は母さんもピアノで伴奏を弾いていたが、このごろはニイチャンの曲がどんどんむずかしくなってきたもんだから、ピアノの伴奏もむずかしくなっちゃって、母さんはだんだん伴奏を弾けなくなってきた。
「いい曲だわね〜。こんな曲を息子が弾いてくれるなんてね〜。」と母さんはのんきにお茶を飲みながら幸せそうにため息をついている。
 でも本当はニイチャンは母さんにピアノを弾いてほしいんだ。ニイチャンのためだけに母さんに努力をしてほしいんだ。母さんはそのことを知っているくせに怠けている。
 あんまりニイチャンがかわいそうだから、ぼくが母さんのかわりにピアノで伴奏を弾いてあげる。曲にあわせてポロンポロロン、自慢じゃないがなかなかうまい。
「あら、二人とも上手ねえ…。」母さんも手を叩いて喜んでいる。そう言われるとぼくも嬉しくなっちゃって、あと10曲分のパワーが湧いてくる。でもニイチャンだけは頭をかきむしる。
「あ〜っ、混乱する〜っ!!」
 何でもたいがいニイチャンの方が上手にできるけど、たった一つだけぼくの方が得意なことがある。それは良くも悪くも自分の意見をがんばり通すことだ。ぼくは相手が神様だろうが閻魔様だろうが、一度「こうしたい」と言い出したことは絶対曲げない。交換条件を出させてちょっと譲ることはあっても100%ガマンすることはない。「意志が強い」とか「プライドが高い」と言うとカッコは良いが、それで損をすることも多い。
 でもニイチャンは根が優しい性格だから周りの人を気づかって、つい
「あ、そうか…」と引いてしまう。言葉で反論するのも苦手で、言いたいことがあっても心の中に飲み込んでしまう。だからときどきたまったストレスを母さんにぶちまける。
「何て言い方するんです!?」鈍感な母さんは理詰めで対抗する。でもニイチャンには後がないので負けるわけにはいかない。こうなるとヘリクツ対ヘリクツの泥試合だ。ちょっと聞いていると母さんが正しいように聞こえるけど、でも母さんがまちがっている。ニイチャンが絡んだりゴロついたりする相手は母さんだけなのに、母さんはニイチャンの心の中を考えずに正論をガミガミ言う。
 ぼくと一緒に生活しているとよそのオジサンやオバサンに正論をただすことも必要なのかもしれないが、ニイチャンにはガミガミ言ったらダメだ。だからぼくはニイチャンに味方して母さんの頭にゲンコツする。
「ニイチャンに“怒ってゴメンネ”って言いなさい!」
 ぼくとニイチャンはあまり似ていない。顔も性格も好きな遊びも全然ちがう。でも母さんだけはいつもこう言う。
「頭の後ろとめんこいところは二人ともそっくりだ」って。ほっぺとおでこの味も似てるんだって。母さんのおっぱいをいっぱい飲んで大きくなったところもおんなじだって。
「昔のことはあんまし言うな。」ニイチャンは母さんに釘をさす。
 母さん、おっぱいのことでいつまでもいばっているとそのうちニイチャンに嫌われるゾ。ニイチャンはもう大きいんだからいつまでもおっぱいやだっこだけじゃなくて、もっとちがう可愛がり方をしないとだめだ。母さんのしつこいチュウから本気で逃げているニイチャンをながめながら、ぼくはつくづくそう思う。
 ぼくはニイチャンが大好きだ。


1999年3月 直樹9歳 陽平4歳
陽平の耳に関する親バカの自慢話


 我が家の次男、陽平の顔の横には左右に一つずつ耳がついている。まるでおさるさんのように大きくて可愛い耳だ。陽平が何かの音にじいっと聞き入っているとき、この耳はどんどん大きくなってこのまま羽ばたいて空に飛んでいってしまいそうな気がする。
 陽平の耳は感度バツグン。どんなに遠くの音でもどんなに小さな音でもちゃんと持ち主の脳に刺激を送っている。父親が帰宅すると最初に気がつくのは陽平だ。
「おかえりぃ〜!」陽平のうわずった声につられて長男も飛び出す。二人の天使が嬉しそうに飛び跳ねながら父を出迎える。こんな時、陽平の耳は天使の羽に見える。
 お気に入りのCDともなればスピーカーを抱いて聴いている。それも丸暗記に近い聴き方をしていて、ナレーションや間奏の他に、伴奏と旋律を一人で同時に歌ったりしている。これは常人にはなかなか真似できない。
 後ろの音だって聴き逃さない。私が台所で卵を割ろうとしてコンコンと小さく叩いても
「もうもうもう!」と物凄い形相で玄関あたりから卵を奪いに走ってくる。そしてブツブツ文句を言いながら私の横で卵を割り直す。
 我が家では私がトイレで用を足すときは必ずその前に陽平が用を足すという決まりがあるのだが、今は陽平は二階の奥にいるようだし、私にもあまり余裕がないから「こっそりしちゃおう」とトイレのドアをそおっと閉めたのに、うっかりカチャッと音が出てしまった。するとその瞬間二階にいる陽平の陽平の金切り声が家中に轟く。
 それで私は自分のオシッコを必死に我慢しつつ、「カパ!(トイレの蓋を開ける音)」や「スポ!(補助便座を乗せる音)」などいつもの台詞を忠実に執り行いながら陽平が用を足し終えるのを待たなければならない。
 先ほど陽平の耳は天使の羽だと申し上げたが、実は地獄耳、悪魔の耳に見えることもしょっちゅうある。
 その他スイッチの音やお米の音、新聞を新聞受けから引き抜く音など常人が気にも留めないような日常のありふれた小さな音に、陽平は実に敏感に反応する。耳たぶまで鼓膜でできているんじゃないか?
 しかしこの耳、時々何も聞こえていないかのように思えることもある。
「陽平、耳が悪いのか?」陽平が一歳半でやっとお座りができるようになった頃、夫は私におそるおそるそう問いかけていた。家族の動きにあまり反応しない。一人でずっと遊んでいる。でも空に浮かぶトンビの歌には熱心に耳を傾けている。おかしいなぁ。
「陽平は心臓が悪くていつも具合が悪いし、手術や入院も多いから人を避けるのは仕方がない。」夫婦でそう慰め合っていたが、そのとき何か大切なことを避けていたのは実は私たちの方だった。
 陽平が自閉症だと診断されたとき、内心ほっとした。もう「私のせいだ」と考え込むことはないし、誰からも責められることはない。
 そう思う反面はっきり言って落胆した。このまま永遠に陽平と同じ喜びや苦しみを共有できないのではないか、そんな気がして淋しかった。体が大きくなってしまえば抱いてやることすら難しくなってしまうから、このまま一生赤ちゃんでいてくれたら良いのに。一生陽平を抱き続け、抱いておっぱいを与えていればせめて体だけでも私は陽平とつながっていられる。本気でそう願った。
 ところが「はるにれ学園」に通い始めてからの陽平は随分変化した。最初はかなり用心深いところもあったが、今でははるにれが楽しくて楽しくてしようがないらしい。
 時々不機嫌の嵐がやってきてパンツを履かなくなったり夜中にお散歩を要求したりして面倒くさいことはあるけれど、おかげでトイレでオシッコをするようになったし二人で夜空の星の美しさを堪能したりした。手はかかるが陽平は嵐のたびに新しい世界への糸口をしっかり掴んで私の元に帰ってくる。
 特に母と離れて通園するようになってからは「見る」「聴く」「触れる」「揺れる」全ての感覚が陽平にとっては心地よく、その小さな脳に波を起こす。友だちとケンカして泣くことはあっても、その痛みや悔しさですら陽平にとっては大切な刺激となっている。大きな口を開けて泣き、大きな涙をこぼし、大きな声で叫びながらも相手の様子を細かく伺い、その存在に親しみを抱く。その子に愛着が湧いてくる。そして自分を抱いてなだめてくれる人の声や感触や臭いを全身で受け止めている。
 最近の陽平は一日中笑っているか歌っている。父や兄とじゃれ合っているときも、誰かにチュウをするときも、友だちの真似をして「たすけてー!!」と叫ぶときも、そして兄の机の上で悪戯に没頭しているときも、何だかとても楽しそうだ。まるでヒマワリの花のような顔をして笑っている。二年前の陽平からは想像もできない。
 ただ陽平は相変わらずこだわりは多いし扱いも難しい。私にもまだまだ理解できない不思議なところも多い。覚悟はできているとはいえ、この病気と一生付き合っていくのは苦労も気苦労も多いだろう。
 それでも陽平が笑っている間は私は幸福だ。むしろ陽平がこの年齢になっても空気の中に存在する神様やピカチュウと会話している姿を見ると、逆に何だか得をしたような気分になる。私の息子はありきたりの社会生活と引き替えに、神様の声を聴き取ることができる素晴らしい耳を持っている。
 余談だがこの耳、陽平が眠くなると真っ赤になっておねむのお知らせセンサーの役割を果たす。便利な耳だ。
 陽平の耳は天使の羽。ときに悪魔の耳。どこかに何かおもしろいことはないか。アンテナのような大きな耳がいつも陽平の脳の横で忙しそうにピクピク働いている。抱き締めてパクッと食べるとめんこい陽平の味がする。


1998年3月 直樹8歳 陽平3歳
庭仕事と子育て

 去年の夏、庭の芝生の上で息子たちが黙々とバナナを食べていた。そのうち兄の方が私に向かってポツンと呟く。
「母さんは穴掘りが好きなんだねえ。」横で陽平が眉を真一文字にしてバナナを頬張っている。
 まじまじとした長男の一言に私はふと自分が年中地面に穴を掘っていることに気がついた。雪が融けてから、やれ肥料だの木を植えるだの、テラスを建てると言っては穴を掘り、堆肥を作ると言ってはまた穴を掘り、硬い土を耕すときも根深いタンポポを引っこ抜くときも、そして初雪が降ってから慌てて球根類を植え付けるまで、私の体からはスコップと長靴が離れない。もっと広げて言えば雪が降ってからも同じスタイルで地面の雪掻きをしているのだから、一年中掘っていることになる。陽平を妊娠していた頃ですら9ヶ月の腹で深さ60cmほどのバラ用の穴を3つも掘っていた。
 だから小学校二年生の長男が
「自分の母親は穴を掘るのが好きな人間なのだ」と判断するのも無理はない。しかし私は別に穴掘りが好きなわけではない。ただ庭仕事が好きなので穴掘りを避けて通れないだけなのだ。
 はっきり言って三度のメシより庭が好き。庭に出たら最後、私の注意は全てバラの新芽や芝生の雑草に集中する。去年はそのせいもあって陽平の迷子癖は近所でも有名になり、お巡りさんに二度もお世話になった。夜、息子たちを寝かせてから懐中電灯とスコップを持って穴を掘っていたときはさすがに夫に叱られた。
「おい、最近ご主人見かけないわね、って言われるぞ!」
 それでも6年前に購入した我が家の庭が庭らしい姿になってきたのはほんの2年前のこと。それまでは雑草刈りに挫折して1年、途中から悪阻が始まって挫折したのが1年、そうして生まれた陽平の心臓が悪くて手術や入院に追われて2年、合計4年は胸まで茂る雑草の海を睨んで暮らした。
 ところが2年前の冬、陽平の生命に対する希望を失いかけたことがあった。この子はこのまま病院と自宅しか知らないままその人生を終えるのかと思うと何ともやりきれず、せめて庭に木の一本でも植えて、その木陰で陽平を抱いて花の歌を聴かせてやりたいと思った。それが始まりだった。
 私たちが住む手稲の前田地区というのは道内でも有名な悪土で、手稲山の急斜面から滑り降りた粘土が固まって強い酸性を示している上に、当時は「開発の可能性なし」とばかりに地下鉄建設時に出た廃棄物が埋め立てられた場所なのだそうだ。だから私の庭も30cmほど掘り進むと大きな漬け物石や横断歩道の模様がついたアスファルトがゴロゴロ発掘できる。近所の庭からはマンホールの蓋が出てきたと聞いて見物に出掛けたこともあった。
 しかしそんな悪条件の中でも雑草だけは見事で、硬い土の中のわずかな水と栄養を求めて緻密に根を張り巡らせる。私が夫の手を借りて最初に庭にスコップを入れたとき、雑草たちは敷地の形をした巨大な根のカーペットを形成していた。雑草のあまりのしぶとさに閉口して放っておくと、わずか2年でイタドリやセイタカアワダチソウなどの立派なジャングルができあがる。
「タンポポ一本生えないような不毛の砂漠よりはマシじゃないか。」穴を掘らない夫が言う。そう言われてみれば確かに生命力だけはありそうだ。
 子どもと庭は似ている。植物は子どもの心だ。花の蜜を吸いに集まる虫たちの羽音や種をついばみにやってくる鳥たちの囀りは、子どもが口ずさむ歌や詩だ。子どもが笑うとh花が咲く。子どもが跳ねると風が吹く。子どもも庭も手入れ一つで木が生い茂り花が咲き乱れるが、逆にまるで手を入れなければ、あっという間にありがたくない雑草や害虫が侵入する。
 土地によってはわずかに雑草を抜くだけで思い通りの花が咲くという。子どもだって千差万別。中には生まれつき丈夫で熱一つ出すことなく、一日三食与えるだけで心も体も元気に育つ子どももいる。しかしそれを当たり前と思っている親も結構多い。羨ましいと思う反面、心のどこかで哀れんでいる。
 私の可愛い陽平は扱いにくい我が家の庭の土とそっくりだ。人一倍愛情を注いでも思った通りに木が根付かない土。やっと花が咲いて安心して目を離すと次の瞬間には名も知らぬ雑草に喰われている。手を加えすぎても成長の勢いが止まってしまうし、夏の間どんなに上手に育てても冬になれば根が凍れて死んでしまうこともある。
 しかしそうかと思えば逆に思いがけない収穫をもたらしてくれることもある。一年で終わるはずの一年草の花でもこぼれ種で増えたヴィオラやヒマワリが毎年意外な場所で咲いたり、何気なく植えたものが予想以上に元気で美しい花を咲かせてくれたりする。
 そんな花たちは古びたフェンスや白樺の木陰で何とも言えない優しい表情で私に微笑みかけてくる。その生命力あふれる花びらをそっと撫でると子どもの頬のように柔らかくすべすべと輝いている。思わず顔を寄せるとふんわり陽平の香りが私の肺を満たす。
 先を急がずイライラせず、おおらかに、ゆったりと、しかし細かなチャンスを見逃さないよう、常に笑いながら抱き締めながら、10年後20年後の姿を思い描いて愛し続けなさい。庭の本にも子どもの本にも同じことが書いてある。
 そうして不測の事態をあれこれ繰り返しながら、庭も息子たちも毎年たくましく成長してゆく。この喜びは、暖かく豊かで柔らかい土地に住んでいて、身も心も健康な子を育てている人々のそれの何倍にもなるだろう。
 ドクターからは
「趣味は当分あきらめましょう。」と言われている手前あまり大きな声では言えないが、この雪が融けて凍れ上がった土が息を吹き返す頃、私はやはり陽平を連れて庭に出てしまうだろう。そして時折生えてくる「パンツをはかない」雑草を抜いたり「不機嫌」の嵐の中で木々につっかえ棒をしながらパターン化されて硬くなった土を砕き、心に肥料を与え、新しい花や木を植え続けるだろう。陽平の心から生まれた優しい木陰や甘い香り、そして美味しい実を期待して、今年もまた私は穴を掘る。



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