オーストラリア旅行

2002年12月29日〜2003年1月3日


子どもたちと一緒の夢の海外旅行
旅先はオーストラリアのゴールドコースト
一部ではありますが写真を撮りました
(海岸での楽しい様子はまだです)
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12月29日 2002年 出発
12月30日コアラをだっこ
12月31日ヘリコプター&ツチボタル
フレイズ動物公園とタンバリン山の動物たち(写真のみ)
1月1日 2003年 A Happy New Year&Ausie English&1億ドルの夜景
1月2日サーファーズ・パラダイス
1月3日パウアシェルのようなグレートバリアリーフ
番外編無事で何より
子どもたちと人々
お土産
まだら人間たち
ナイスバディー
海の香り




12月29日   出発


 今日はオーストラリアに出発です。以前から陽平が楽しみにしていたJALです。しかも今日はそのJALに2回も乗ります。タクシー、JR、飛行機、いつもはあまり乗る機会のないものばかりです。
 陽平は緊張したのか、前夜はほとんど寝ていません。それで疲れてすぐに寝るかと思いきや、起きてる、起きてる。ブリスベン行きの飛行機に乗ってもしばらくは目がランランでした。
 でもニイチャンは荷物を運んだり、いろんな場所を行ったり来たりで疲れたのでしょう。せっかくの機内食が出る前に寝てしまいましたよ。
 機内食は美味しかったですよ。夜9時過ぎの出発だったのでその前に軽く食べていたのですが、美味しくて母は陽平のお子様食まで食べてしまいました。
 しかし考えてみるとこれが「オーストラリア大食い旅行」の始まりだったのでした。



12月30日   コアラをだっこ

 オーストラリアは1時間早く朝になります。2日間ほとんど寝不足の陽平はゴールドコーストに到着してからちょっと荒れました。最初のテーマパークではあれこれ見たい乗りたいが多過ぎて、結局コアラとの記念写真以外にはどれも時間がなくなってしまって何もできずにツアーのバスに乗ることに…。暴れながら、叫びながらバスに乗りました。
 どうなっちゃうんだろう…と思いましたが、ホテルに着いてニイチャンとベッドの上で飛び跳ねて遊んでいるうちに心が修復されました。さすがニイチャン!!
 夜はホテルを出て近くの街を歩きました。偶然入ったパスタのお店がとても美味しかった。でも昼のハンバーガーショップでも思ったのですが、量が多い!オーストラリアのレギュラーサイズは日本のビッグサイズです。お腹がいっぱい…。美味しかったけど。

 で、コアラですが、夜行性の動物なので昼間は超眠そうです。動物園でのコアラの昼間の労働時間は「30分以内」と決まっているそうですが、その30分も嫌そうでしたね、コアラたちは。でもおとなしくて可愛い動物です。
 残念ながら陽平は身長が122cmに満たなかったのでだっこはできませんでした。その代わり自分がコアラになっていましたよ。
 動物園にはコアラのほかにカンガルーも放し飼い。ワライカワセミもすぐそばの枝に止まっていて、「ああ、オーストラリアだな」と実感しました。



12月31日   ヘリコプター&ツチボタル

 昨日お船に乗れなかった失敗が生きていたのか、今日の陽平はスムーズです。「さっさとしないとお船に乗れなくなっちゃう?昨日みたいにかい?」にこにこしながらズボンを履きます。
 今日は海岸のすぐそばを流れるネラング川の遊覧船とヘリコプターに乗りました。ヘリコプターなんて皆生まれて初めて乗りました。陽平はそんな珍しい乗り物に乗れて、しかも中ではマイク付きのヘッドフォンをして、ゴキゲンです。ヘリコプターから見えるゴールドコーストの全景は綺麗でした。
 ネラング川はほとんど運河のような川です。流域は高級住宅街が続きます。ゴールドコーストはオーストラリア人が退職してから住んでみたい地域ナンバーワンだそうですが、中でもネラング川の川沿いは最もお金持ちたちが集まる場所のようです。
 建築様式も様々です。フレンチ風、ゴシック風、プロヴァンス風、スペイン風、イングランド風、まるで建築のカタログのような家が並んでいます。私は「ここは亜熱帯なんだから窓の小さい北ヨーロッパの建築様式は暑いのでは?」と一瞬思いましたが、きっと冷房は完備されているのでしょう。そうでした。

 昼は中華レストランでお食事。オーストラリアに来てからずっと食べ続けているので、もう食べれない、そう思っても一口食べるとこれがまた食べれちゃうんです。ちまきの美味しかったこと。ゴマ団子も。久しぶりにお腹が痛くなるほど食べています。しかも毎回。

 夜は近郊のタンバリン山にツチボタルを見に行きました。空は満天の星空のはずなのに、星はほとんど見えません。それほど深いジャングルのようです。私は陽平をおんぶして最後尾から列を追います。あたりには大きな締め殺しの木や椰子の木が鬱蒼としています。暗闇のあちらこちらから生き物の気配が降ってきます。はぐれたら生きて行けない、そう感じました。
 ツチボタルはそんなジャングルの、昼間でも日光の決して当たらない窪みにいました。正確にはホタルの幼虫です。日本のホタルは成虫が結婚相手を探すために光を点滅して出しますが、ツチボタルは餌をおびき寄せるために点滅しない青い光を出し続けます。群れを成しているのでその美しさは圧巻です。その光に魅せられて小さな虫たちが彼らの蜘蛛の巣状の網にかかってしまうのだそうです。
「昼間は見たくない…」そう思ってしまいました。
 ツチボタルは温暖で湿度が高く安定した気候の中で、しかも綺麗な空気と水の中でしか生きられない生き物だそうです。ガイドさんは
「2030年代には絶滅してしまう恐れのある生き物」と説明してくれました。
 カメラに写らない光なのでその美しさをアピールされ辛い生き物なので乱獲は免れたのでしょうが、その反面保護の必要性もPRされ辛いのでしょうね。私もオーストラリアに来て初めてその名と美しさ、そして現状を知りました。絶滅までにもう一度会えるかしら?
 帰りには満天の星も見てきましたよ。こんなにはっきり星を見るのは何年ぶりかです。昔、森の中に住んでいたころはよく見たような気がするけれど。プレアデス星団も見えました。マゼラン星雲をはっきり見たのは初めてです。もちろん「もう一度マゼラン星雲を探せ」と言われてもガイドさんがいなくては探せませんが。
 今日は地上の星と満天の星を堪能しました。それから野性のポッサムと動物園のカモノハシも。(←初めて見た!)

フレイズ国立動物公園&タンバリン山の 動物たち




1月1日   New Year&Ausie English&1億ドルの夜景

 私たちが泊まったホテルはサーファーズパラダイスというビーチから歩いて5分の場所にあります。それで眠ってしまった陽平をホテルに置いて父さんとニイチャンと私の3人でビーチのカウントダウンと花火に参加してきました。オーストラリアの花火は、最初は「大味だなぁ」と思いながら見ていましたが、最後はさすがにボリュームたっぷり。日本のように詫び寂び交えた芸はなくてもボリュームで勝負!という感じです。
 誰も彼も A Happy New Year!を交わしました。人類皆兄弟。酔っ払いの兄さんたちもいっぱいいたけど面白かった。
 キスを交わす恋人たち、花火を振り回す若者、大きな声で歌う人(国歌かな?)、街角でメソメソ泣いているピアスだらけのお兄さん(泣き上戸かな?)、そして彼を優しく慰めるやはり派手な友人。ラッパを吹き鳴らしながら人をかき分けるように走り回っていた若者もいました。あれ、お酒も入っているだろうから心臓はバクバクだったことでしょう。でもみんなに握手されていました。
 今年のお正月はオージー流にとても賑やかに迎えました。

 午前中にSea Worldをこなしました。帰りはタクシーを利用したのですが、ここで初めて純粋なAusie Englishに出会いました。タクシーの運ちゃんが根っからのAusieなオジサンのようです。父さんが
「正月も働いているんですねぇ」と声をかけると、
「いやあ、なに、働かんと生きていけねぇ」と言うようなことを言っているらしいのですが、聞き取れません。
「もっとゆっくり話していただけませんか」と言うとオジサンはさらに早口で残念がっていました。私たちも同じ。
 オジサン、ごめんね、せっかくオーストラリアに来たのにAusie Englishがわからなくて。

 夜はバーレイ・ヘッドにある見晴らしの良いレストラン「Oskar's on Burleigh」でお食事。バスから降りると小鳥の声で溢れ返っています。それも色がとても美しい。ニジイロインコだそうです。(後で本を見てみるとKing ParrotかCrimson Rosella)
 それからゴールドコーストの美しい夕暮れを堪能しました。レストランから見える海は明るいコバルトブルーと浜に近づくに連れてエメラルドグリーン。そして砂浜はアイボリーゴールド。それらの色は白いレースのような波で縫い合わされています。
 だんだん暗くなり、小鳥たちが静かになると風景は深い深いコバルトに沈んでゆくのですが、波だけはいつまでも白いんです。その背景には1億ドルの夜景が浮かび上がっています。そして空にはやはり満天の星明かり。
 まるで美しい布の上に宝石を散らかしたような夜景でした。



1月2日   サーファーズ・パラダイス

 帰る前日の今日になってやっとゆっくりビーチで遊びました。ゴールドコーストの浜って遊べる区域が短く細かく区切られています。100mくらいの遊泳区域がいくつも点在しているという感じ。そこでたくさんのライフセイバーたちが目を光らせています。波が高いだけではなく、波が引くときの力が強いんです。だから溺れている人がいないか、ガッチリ監視を徹底させるために遊泳区域の幅を小さくしているのです。
 黄色と赤の旗の間にたくさんの観光客たちが波で遊んでいるのですが、うっかりちょっとでもはみ出そうものならすぐに「遊泳区域を守れ!」と怒号が鳴り響きます。「波が高いから子どもからは目を放すな!」声の調子が必死です。言うことを聞かない人がいると言うことを聞くまでジープのクラクションを鳴らし続けます。この音がまたすごい。鳴らしているライフセイバーの顔も怒っています。
 そうなんです。父さんだって一度は波に引かれて溺れそうになりました。ライフセイバーたちが必死で監視しているわけです。
 このライフセイバーたち、たくましそう。ひとたび何かが起こるとその動きはとても機敏だそうです。あっという間に救助してくれるらしい。でもそんな彼らでも助けられないケースもあるのでしょう。
 お正月からご苦労様。でも、さすがイアン・ソープの国。

 陽平も直樹も波に乗って楽しそう。サーフボードを借りて(5dollars per hour)乗ったり、大きな波に向かってジャンプしたり、声が枯れるほど歓声を挙げていました。
「ようちゃん、2年生だから波より強いもん!」とポーズをつけてみるものの、自分よりも大きな波が押し寄せると「ぎゃ〜、かあさん!」としがみつく。めんこいんだわ。
 ニイチャンも堪能していたようですが、ニイチャンはもう自分のペースでお楽しみだったようで、よく把握できていませんでした。
 しかしふと見ると…あんた、海パンが後ろ前!ニイチャンらしいわ。
 それにしてもビーチで遊べるのが正味一日というのはちょっと忙し過ぎたかな。でもまあ滞在期間自体が短かったので、しかたがありません。この次はもっとゆっくりできると良いですね。そう思えるくらいが旅にはちょうど良いのでしょうが。

 夕食は "Grumpie's Wharf"でシーフードを食べました。滞在中、オーストラリア料理というものには出会うことはありませんでした。ステーキ、シーフード、イタリアン、中華、和食までいろいろありましたが「オージー料理」はありません。
 でも口にしてみて何となくわかる気がします。オージー料理は素材が決め手なのです。料理法じゃない。素材が新鮮でしっかりしているのでどんな料理にしても美味しいんです。「北海道に似ている」と父さんは言います。その通りかも知れません。(北海道には北海道の料理があるんですけど)
 今日のグランピーズのシーフードもロブスターの刺身は最高でした。新鮮なロブスターだからこその味なんですね。それにしてもこの刺身はこのレストランの中でもメインメニューとして売られているようです。ガイジン(私たちがガイジン?)も刺身を食べるのね。
 窓から眺める景色も雄大でした。今日の天気は曇り。でもモクモクした雲の様子とクルーザーがひしめくネラング川の賑やかさがとてもマッチしています。晴れていた昨日にバーレイ・ヘッドで曇っている今日がオスカーズで良かった。「オージー大食い旅行」の最後で疲れていたお腹にこのシーフードで助かりました。
 オーストラリアは美しくって美味しかった!



1月3日   パウアシェルのようなグレートバリアリーフ

 今日はオーストラリアにさようならの日です。朝は3:30に起床。でも眠い。実は昨夜隣の部屋に英語をしゃべる家族が入室したようなのですが、旅行の楽しさから他の部屋からの行ったり来たりが激しかったのです。きっと私たちと同じように、家族が別々の部屋を取ったせいでしょう。ノックの音と「開けて〜( Open the door)!」という子どもの声が真夜中過ぎまで続きました。ノックの音のたびに陽平は「ニイチャンじゃない?」と飛び起きます。違う違う。
 その上どこで覚えてきたんでしょう?「タスケテェ!」という日本語まで叫んでいるのには笑ってしまいました。もしかして昨日ビーチで出会った少年かな?一人いたんですよ、陽平が一緒に砂遊びをしたくてバケツを借りたのですが、私が「貸してね」と声をかけると「コンニチハ、ハジメマシテ!」と日本語をしゃべる少年が。彼かな?
 そんなこんなで眠い目をこすりながらブリスベン行きのバスに乗りました。サーファーズパラダイスに沿ってバスは走りました。朝日の中のゴールドコーストはその名の通りゴールドなコーストでした。「おおおっ!」と歓声を挙げる日本人たち。この景色だけでも充分「来て良かった」と思える景色です。  そしてさすが「サーファーズパラダイス」。朝からサーフィンをしている人たちもいました。昨日や一昨日の分に書きそびれましたが、ここに来ているサーファーたち、サーフィンが上手です。大きな波の上にさっと立ち上がり、ずいぶん長いこと波に乗っていられるんです。見ているだけでも楽しい光景でしたよ。
 今日も朝日の中でサーファーたちが波に乗っている様子は何だか夢のよう。金色に輝く海と空の間で波と人間の動きが本当に美しいんです。

 出国して飛行機が飛び立ってからも美しい景色を堪能することができました。飛行機から見える海の色です。オーストラリアに来るときは夜でしたのでよく見えませんでしたが、帰りは午前中の鮮やかな太陽を浴びて輝くグレートバリアリーフを見ながらの航行です。
 海の色はゴールドコーストと同じ、明るいコバルトブルーとエメラルドグリーン、そしてアイボリーゴールドのグラデーションが白い波のレースで幾重にも縁取られています。
 グレートバリアリーフには大きなエリオット島を初めとして無数の小さな島が点在しています。あるいはちょっと前まで島だったような部分もあります。その無数の島たちがそれぞれエメラルドとアイボリーゴールドを抱えているので、さながら上質のコバルト色のベルベットの上に細かなダイヤモンドとエメラルドをたくさん散りばめたような景色です。息を飲むような景色です。  そうそう、オーストラリアには特産のパウアシェルと言う貝を用いたアクセサリーがあります。コバルトブルーとエメラルドクリーンが波のような模様を描いて、とても綺麗です。皆さんもそのパウアシェルをご覧になる機会がありましたら、それがグレートバリアリーフの海だと思ってください。

 そしてずっと外を眺めていると魅惑の島、パプア・ニューギニアも見えました。その入り江はまるでネヴァーランドのよう。でもすぐに雲に覆い隠されてしまいました。見えなくなると益々見たくなるもの。いつか行ってみたい。母はそう思ってしまいました。
 南半球よ、ひとまずさようなら。



番外編   無事で何より
 今回の旅行は本当に無事で何よりでした。
 陽平は心臓のフォンタン手術を受けているため普通の人よりも静脈圧が高くなっています。だからちょっと出血傾向が高いのです。以前何度か鼻血を出しまくって失神に近い状態になったり輸血をしたりしたこともありました。4月には鼻の血管を焼いています。本来ならば心臓の中に血栓ができないように抗血液凝固剤を服用しなければならないところなのですが、出血が危険なので中止しています。
 だから今回も「出るもの」と考えて準備をしました。現地のメディカルセンターの医師に陽平の心臓と体全体の状態が伝わるように英語の診断書を用意し、止血剤を父さんに用意してもらったり直前には近所の耳鼻科の先生に鼻の状態を診ていただいて出血しそうな血管がないかどうかを確認したり。
 でも陽平の鼻の血管が強くなってきたこと、そしてホジホジを我慢できるほど陽平が成長してきたおかげで危惧していたことはありませんでした。
 「野菜を食べると鼻血が出辛くなるよ」との母のアドバイスに応じて陽平は頑張って野菜を食べたりしていたんですよ。偉いでしょ。
 フォンタン手術の後は脱水になりやすいという話も聞いていましたが、母が心配するまでもなく陽平は機内でも現地でも水分を摂りまくり、エコノミークラス症候群も大丈夫。足をピョコピョコ動かして、降り際には前の席の方に謝らなければならなかったほどです。
 旅行中はニイチャンがちょっぴりグスグスゲホゲホしただけ。でも父さんのお薬のおかげですぐに治りました。
 ちょっと自信が付きました。やはり陽平を連れての旅行はメディカルセンターがあるところに限られますが、それでも今回のように準備をしておけばこれからも海外旅行ができるということがわかりました。

思い出話は続く 〜 人々と子どもたち
 ゴールドコーストはもともと外国人の多い場所です。加えてバカンス・シーズン。とにかくいろんな国のいろんな人が集まっていました。白人はオージーかその他の英語圏の人々かの区別ができなかったのですが、その他で多かったのは中国人と日本人です。南アジア圏の人々も結構この地に来ているようでした。東南アジアのご家族もいます。まるで民族のカタログのようです。

 ニイチャンは最初の一言までに少し時間がかかりましたが、慣れてくると積極的にお買い物をします。中学校一年生、会話はまだまだですが、ちゃんと「Thank you」「Bye」を言ってきます。常日頃礼儀正しく他人様に挨拶をするニイチャンはオーストラリアでも照れずに挨拶します。陽平が相手に対してあまりにもおふざけがひどいときには間に立って謝ってきてくれました。ただ必要な日本語が相手に通じないとき、あるいは相手の言っていることがわからないときは大きな声で「とうさん!」。めんこいんだわ。
 今までは顔立ちと言葉が違う人々に話しかける機会がなかったので、良い機会です。ニイチャンにも、相手の言っていることはわからなくてもその人の感情は伝わるものだと言うことがわかったようです。それだけでも良い経験です。
 またいつか外国に連れていってあげる機会があったら、もっともっといろんな経験ができるでしょうね。

 さてさて言葉が通じないことに慣れっこのようちゃん…。相手がたとえ神様や閻魔様だって臆することはありません。
 オーストラリアでは知らない人同士でも「おはよう」「こんにちは」を言います。ちょうど新年を迎えたので、「あけましておめでとう」も加わりました。そのたびに陽平は挨拶代わりに「死ね、殺す!」を言います。いくら相手に日本語が通じなくてもフリーパスと言うわけには行きません。「これ!」くらいは言わなければ…
 でもその雰囲気を察して「お子さんは何と言っていますか?」と尋ねてくださる方もいます。私はその子ども好きなマダムに「彼はあなたに親しみを持っています。こんにちはを言っているんです。」何ともデマカセではありますが、まさか好意をもって挨拶をしてくださる方に直訳はできませんでした。
 するとそのマダムはこの「死ね」「殺す」がたいそう気に入ってしまった様子。ご自分も陽平に言ってくれます。楽しそうな陽平とマダムの「死ね、殺す」のやりとりが続きます。別れ際もマダムはとても大きな明るい声で「シネ〜、コロス!」と手を振って見送ってくださいました。
 こういう人、必ず一人はいるんじゃないかと思っていましたが、いたいた!陽平がいてくれると挨拶だけの関わりからその先の一歩が舞い込んで来ます。それが他の民族だったりすると、母は楽しくてしかたがないです。
 陽平は堂々と「ごちそうさま〜!」も日本語で言います。それで良し。ちゃんと伝わるものです。
 でも少し時間が経つと他の人にぶつかったときに「sorry!」と軽く謝る様子も見られました。へええ〜!

思い出話はまだまだ続く 〜 お土産
 海外に行って苦労してお土産を選んで帰ってきてみたら「Made in Japan」だった、という話は落語の小噺にも出てきます。「Made in Japan」はありませんでしたが、「Made in Taiwan」「Made in China」は実に多かったです。ともすれば「Made in Australia」と同じくらい存在したかもしれません。
 オーストラリアのお土産の目玉は先住民族・アボリジニのアートです。ブーメランや楽器類(デジャリドゥなど)、Tシャツのプリントにはアボリジニたちとの契約か何かがあるのでしょう。さすがにこれらに模倣はありませんでした。でもアボリジニ柄のボールペンには「Made in Taiwan」が!とてもよくできているので「ニイチャン、これ、お友だちへのお土産に良いんじゃない?」と危うく手を出してしまいそうでした。その他カンガルーやコアラのぬいぐるみにはほとんど「Made in China」。ショッピングセンター内の専門店風のお店にはそのようなことはありませんでしたが、いかにも外国人相手の免税店にはたくさんありました。
 時間があったら「Made in Australiaさがしゲーム」も面白かったかも知れません。
 でもね、ここまで言ってしまってコレを暴露するのは恥ずかしいのですが、本当はやってしまったのですよ。父さんの職場の皆さんへのお土産の一つ、ボールペンは "made in Taiwan"だったのでした。ああ、恥ずかしい。

 そのアボリジニ・アートなんですが、美しいものです。アボリジニたちは自分たちを取り巻く動物たちや人々の生活する様子を実に神秘的な模様で表現しています。鮮やかな色彩を用い、細かなスポットで輪郭を取り、まるで絵から光が流れ出てくるようです。
 何人ものアーティストがいるのでしょう。シンプルで力強さを感じるものから繊細で流麗なものまで作風がいくつかあります。アーティストたちと専売契約を結んでいる会社も多いのでしょう、売り場にはアーティストたちの顔写真入りの広告札がいくつも置いてありました。
 Tシャツやブーメランだけでなく、何に使うのかわからない壷(香炉?)やお皿、そしてただ石にペイントしたものもありました。もしかしたらこの石のペイントがアボリジニ・アートの原点かもしれません。実用性よりも信仰を感じました。

 で、私は自分自身の記念に何を買ってきたかというと、パウアシェルのアクセサリーは順当な奥様らしい物ですが、アボリジニの画家が描いた絵本と野性動物を紹介した雑誌、ゴールドコーストの写真集、アボリジニの人々の写真のカレンダー、そして地元のお庭雑誌、そして地元紙「The Bulletin,Gold Cost」(TVガイドつき)。
 ニイチャンはちょっと可哀想で、父と母がお土産選びにそれぞれ忙しくて面倒を見てやれなかったために自分で何を選んで良いやらよくわからなかった様子。Sea Worldの帽子とブーメランだけになってしまいました。美しい絵の入ったそのブーメラン、夏になったら飛ばして遊ぶんだ!と言っています。失くさないように気をつけてね。
 陽平には「コアラのぬいぐるみを買ってあげる」とお店に入ったのですが、気に入ったのはカンタス航空の飛行機セット。帰りの飛行機の中で早速遊んでいました。帽子もよく似合います。
 父さんは札入れ。長年使い易そうな物を探していたそうですがなかったんですって。旅の思い出と実用性が二つ揃って大喜び。
 それぞれが満足したお買い物をしてきました。

旅の名残 〜 まだら人間たち
 日焼け止めを塗ったら、という母の忠告を無視した人たちは皆、体がまだらになってきました。痒そうです。ほれごらん!無理やり体に日焼け止めを塗られた陽平だけは体の炎症は免れましたが、どうしても嫌がって塗らなかった顔だけは皮が剥けてきています。
 ニイチャンと父さんは顔も体もボロボロ。でも剥けた皮膚の下からは新しいピカピカした肌が覗いています。色も薄め。だからまだらなんです。このまだら顔で冬のジャンパーを着込むと何だか不思議な様相です。
 ニイチャンは私と体質が似ているのですぐにはもとの色に戻りません。でも父さんはこの皮剥けが治まったらもとの色に戻りそうです。父さんは色白な男なんです。父さん自身は名残惜しそうです。
 皮剥けといえば、私は昔のことを思い出しました。私が中学生だったころ、やはり日焼けをして皮が剥けたときのことです。剥いていると3cmラ3cmくらいの皮が剥けたのです。その大きさに感動して記念に何かのノートにセロテープで貼り付けました。丁寧に日付も入れて。
 で、その後はその皮のことなどコロッと忘れていて一年後くらいにそのノートを開いたとき、カピカピの自分の皮が出てきてとても驚きましたヨ。
 ニイチャンの体の皮をいじりながらそんなことを思い出し、思わず笑ってしまいました。

 え?わたし?私は日焼け止め対策バッチシよ。SPF82ってのはすごいです。赤くもならないしほとんど目立たない。まあ、もともと地黒なので焼けていてもわからないのです。私だけはまだらになりませんでした。この歳で急激に日焼けすると、色がどうのと言うより皺がひどくなります。最近悲しいことにシワシワしつつある私なんです。焼けなくて良かった。

旅の名残A 〜 ナイスバディー
 勇気を出して体重計に乗ってみました。…やっぱし!オージー大食い旅行でよく食べたし、帰ってきてからもお雑煮ガツガツでしたからね〜。
 オーストラリアでは食事の量が多かったです。キッズサイズが普通サイズ。レギュラーは「大盛り」です。
 初日のハンバーガーのすごい量!ビックリしました。その他出てくる料理は皆どっさり。でも美味しいのでこれが入っちゃうんです。子どもの分まで食べていました。
 アイスクリームも美味しそうだったんですけどね、量がすごかったので手が出ませんでした。でもこのアイスクリームのラージサイズってどんな量だろう…と父さんの顔をちらりと見ましたが、
「おれ、食えねえからな」と釘を刺されました。

 こんな量をオージーたちは本当に食べているんだろうか、と思って周りを見回してみるとやはり食べているんです、これが。周りはオージーたちだけじゃないのでよくわかりませんが、でも皆さん食べています。セルフサービスのバイキングでも皿に乗る量、運ぶ回数が違う。ティータイムにケーキを4つも召し上がっていた紳士もいましたよ。
 だからという訳ではありませんが白色人種の方々の中にはかなりコレステロールが気になる人が多く見られました。日本なんて比較になりません。
 でも中にはとてもナイスバディーなお姉さんorマダムもいます。足は細いし長いし、ウェストはキュッでしょう。胸はバンバーンって感じで鼻がすっと高くてあごが尖っていて金髪碧眼です。あ、そうそう、最もナイスバディーなお姉さんはチャイニーズでしたが。金髪碧眼や骨格は民族的な生物学的特徴なので仕方がありませんが、あのようなナイスなバディーはどうやったら作り上げることができるのでしょうか?やっぱり食事に気を使って、エクササイズは欠かさないのでしょうねぇ。
 と、普段そういうことに全く注意を払わない私が疑問を抱いても「おとといおいで」ですよね。
 それにしても「中間」がいない…。

写真に撮れなかった思い出 〜 海の香り
 ゴールドコーストの海辺に着いたとき、不思議な柔らかい気分に包まれました。どこかから甘い香りが流れてくるのです。いつかバリ島で体験したココナツの香りです。
 でもこのあたりには香りが風になるほどのココナツの群落はなさそうです。どこから流れてくるのだろう、と私は鼻をくんくんしながら360°体を回しました。流れてきたのは私から北北東の方向、遙か海の彼方から白い大きな波たちがココナツの香りを運んできているのです。  ケアンズか、パプア・ニューギニアか、はたまた太平洋の風が東南アジアの陸地をえぐってきたのか。
 昔バリ島を訪れたとき、バリの海岸にはグレートバリアリーフから流れ着いた珊瑚が砕けてできた砂浜が広がっていました。
「この先にはオーストラリアがある」そう思いながら私は海を眺めました。今回も同じ気持ちで私は海を眺めました。この先にはまだ何かが続いている。
 バリの珊瑚の砂浜は13年後にオーストラリアに繋がりました。そして今私の元に流れ着いたココナツの香りはいずれどこかに繋がってゆくのかも知れません。


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